四季の日記

大学生の徒然

愉快な三人がいた-4-傷ついた身体を抱きしめる

愉快な三人がいた-4-

 

愉快な三人がいた。

「どんどん落ちていく。これは錯覚かしら?」

「下に、横に、上に、どんどん落ちていく。または錯覚なの?」

「どの方向にも落ちていける。これは現実?」

 吹き抜ける錯覚の中に垣間見える現実。虚構と現実に境目はない。すべての虚構を感じることなどできない。片隅に転がる現実は風に吹かれて、角を無くしていく。寂れた街の人々は、錆びた鉄に願いを叶えようと、硝子の破片を飲み込んでいく。寂れた鉄のガラクタに赤がつくとき、その時だけがリアルを錯覚する。

 

 愉快な三人がいた。

「走り出す」

「目を閉じる」

「溶かす」

 傷ついた身体を抱きしめる。悲しみが肩を抱く。噴出する感情にキスを。

 

 愉快な三人がいた。

「華やいでいる頃、そんなものはなかったわ」

「季節にすべてを任せてしまう朝、そんなものはなかったわ」

「雨となる夜、それは確かにあったわ」

 惰眠に輝くその雫は、雲の隙間から覗く地球の姿なのかもしれない。意識が降っているとき、それを同化と呼ぶ。

 

 愉快な三人がいた。

「忘れさせて欲しい」

「できっこないわ」

「人間は不自由ね」

 もし、忘れさせてくれるものがあるのなら、何かを伝えよう。少なくとも、舞台する演技の中からは見つけられない。

愉快な三人がいた-3-無骨な現在し続ける過去が築かれる

愉快な三人がいた-3-

 

愉快な三人がいた。

「信仰の隅をつつくのは誰?」

「楽器に油は禁物なのに」

「彼の国のお姫様を今貴方に」

 勇敢なる幽霊が、有閑を過ごしている。壊れてしまったレコードが再び音楽を口ずさむとき、秘密のグリゴレウス一世は象牙の門を叩く。捻られた手首の痛みに赤子が笑い出したそのとき、世界に祝福がもたらされる。額に記されたへその緒が、母と仏陀の温樹(おんじゅ)を冷笑する。

 

 愉快な三人がいた。

「複数の仮面を持っているの」

「それらの仮面を重複させながら取り替えているの」

「そしてそれらの仮面は、仮面として認識されない。それは仮面ではなく、仮面でなくないペルソナなの」

 生まれては死に、また生まれては死んでいく。それの繰り返しの中で、生きて死んでいく。フォークでグルグルにされたパスタのように、繰り返され、螺旋し、区別はなくなっていく。区別なんてことはどうだっていいこと。ベタベタの油まみれになった空っぽの皿の上には、無骨な現在し続ける過去が築かれる。

愉快な三人がいた-2-いつかの君に会う覚悟が、貴方にはあるの?

愉快な三人がいた-2-

 

愉快な三人がいた。

「すべてを型に流し込んでしまうのね」

「それを作っては壊すの」

「その中でのみ考えているのよ」

 普遍化し一般化することでしか見ることのできないこの世界に、二人称なんて存在できるはずがない。りんごの芯に向かっていくパイナップルの面影を見つめながら、不満はふと現前し始める。ダリアの口悪さに驚嘆しつつ、ヴァイオレットの庭で尿瓶に入った尿を浴びる。

 

 愉快な三人がいた。

「飛んでいるあれは何なのかしら?」

「刀が夜に叫んでいるわ」

「飽和していく夜を迎えに行かなくっちゃ」

 夕闇の逃げていくその先に、もう一人の鸚鵡ともう八人のミトコンドリアが逃げている。それを見ているのは誰?

 こんな朝にコーヒーはいかが?

 

 愉快な三人がいた。

「地獄の時刻は事後の前なのかしら?」

「天使にディープキスをしたら粉々になったの」

「昨日誰かを殺しておけばよかったわ」

 積み上げられた本の上に立った。積み重ねられた重みある重なりの積み上げの中には、コルチゾールの秘密が隠されている。誰かがそれ盗んでいくとき、その中にある秘密はストレスとなっている。

 

 愉快な三人がいた。

「流れていることと、止まっていることに違いなんてあるはずがないのよ」

「止まっていることは即流れることなのね」

「赤信号と青信号は真ん中に黄色の天使がいるの。気色悪いわね」

 時計を左に回せば、いつかの君に出会える。いつかの君はいつだってばらばらなのよ。ぐちゃぐちゃなミンチになっているの。それでも確かにいるのよ。いつかの君に会う覚悟が、貴方にはあるの?

 

 愉快な三人がいた。

「酔いしれてしまうその旋律に」

「深い眼差しを食すのは」

「曇天に住む貪欲な栗の木」

 出現した言語の果し合いは、ガチョウの下に書かれた手紙によって達成されていく。小松菜の色彩のはみ出した銀の砂は限りなく騙されている。痛みの数え方はヴァチカンなんかにはない。惨殺隊と残党の笛の音に導かれて、どこかのマーチ好きは、仮面舞踏会に迷い込む。

 

 愉快な三人がいた。

「回ればいいのに、誰も回りはしないわ」

「眼に映らない色彩もあるのに、仕方ないわね」

「ブルーの仮面を着けているのよ」

 硝子の粉塵の舞う季節。そこにいる将軍を血祭りにあげて、蔦に絡まった思い出を迎えに行く。その行為の果てにあるのは腐った身体。それでもそこに歩けるか?砕けた障子の穴から覗く鼻にそっと口付けを。

 

 愉快な三人がいた。

「すべてを客観性へと還元する皆々様」

「科学を真理と勘違いしてしまう皆々様」

「そうであるはずだ、とすら考えられない皆々様」

「人間の理解とは無関係だと知らない皆々様」

「普遍は不変だと信仰する皆々様」

「合理的であろうとする皆々様」

「愚かな皆々様」

 こうした神話に親和しているあなた。笑われているわよ。それでも気づかないのね。

 

 愉快な三人がいた。

「もうすべては起こったのよ」

「もう何もかもすべてとなったのよ」

「時制なんてもう意味をなさないのよ」

 蝸牛の鍋がそこら中に溢れている。広く狭く広範に広汎されている。花の長さを測りたければ、魔法の理屈で輪郭を複数にし、無骨な魚にしなければならない。特別な形なんて存在しない。アマデウスはすでに去った。

 

 

なんでこんなこと書いたんだろう?

 自分を変えよう変えようと必死で、いつまでも冷たい部屋の中で考える。考えれば考えるほど不安になる。一瞬のうちに自分が変わってしまうことなんてないはずなのに、そのことを知っているはずなのに、それにすがってしまう。変化していかない自分が嫌い。何もしない自分が嫌い。

 

 ある具体的な目標を掲げてみても、それが陳腐なものにいつのまにか変わっている。私はいつも勘違いしている。あると思い込んでいるだけで、そこには何もなかった。私と現実を対峙させてくれる何かを無理やり探そうとするあまり、空想の世界に迷い込んでいく。

 

 リアリティに飢えている私。別にリアルでなくてもいい。実在性がなくてもいい。ただ、私を騙してくれるものが欲しい。なんでもいい。人でもいい。ただ、もう本は嫌だ。怖くてこれ以上触れられない。もう読めない。私の醜いところを写し出す鏡として本が私に現れるようになった。私の醜さを外在化する装置として、本が設定された。私は私と対峙できなくなった。私は変化したいと願う。けれど、私を変化させるものが行動であるならば、私は私を変えられない。もう動けない。逃げ出したい。

 

 私も変わっているという自覚を持っていたことがあった。そのときは行動し、私は私が変わっていくことに快楽を感じていた。怖いものは何一つとしてなかった。毎日に張りがあり、感情も活発で頭もよく使っていたように思う。そこに実在性を感じていた。生きているようで死んでいるような、とても幸福な時だった。そしてそこには必ず身体があった。

 

 けれど、もうできない。私の身体はもうどこにもない。私はもう自然じゃないし、自然に戻れない。もうすっかり意識だけになった。不安定さを許容できなくなってしまった。

 

 私は何もしないということで自分から逃げられることを知った。実在性から解放できる。でも、逃げられないことも知った。逃げると必ず捕まってしまう。動いても動かなくなってしまう。どうすればいいのだろう。動かずに逃げ続けることは不可能なのだろうか。

 

 いつもの風はもう吹かない。明日は明日の風が吹くだろう。けれど、それは黴臭い。それを嗅ぎ続けることに耐えられない。私にとってそれはお似合いなのだろうが、もうやめてくれ。身体はもうすっかり黴臭くなってしまっている。すれ違う人たちを不気味な顔にするのはもう懲りごりなのだ。

 

 ところどころから聞こえてくる悲鳴をもう聞きたくない。耳を瞑りたい。目を塞いでしまいたい。私は私を幸せにするための方法を知っているように思う。けれど、幸せにしたいとは思わない。なんたって、それは疲れる。でもそれはきっと、いい疲れなんだろうと思う。気持ちのいい疲れなんだろうと思う。今の私の感じる疲れとは似ても似つかない素敵な疲れ。

 

 「ここまでね。あなたを騙すのはあなたにしかできない。それは自己欺瞞かもしれない。けれどね、自己欺瞞のなにが悪い。私がいまここで決めてあげる。自己欺瞞でも構わない。変わる変わらないっていっているお前はどうでもいい。どうせ変わるんだろう?変化するための具体的な方法をきっと続けるんだろ?もういい。寝ろよガキ」

 

 こうした思考の仕方は私っぽくないのに、なんでこんなこと書いたんだろう?

 

 めちゃくちゃだな。

 

 おやすみ私

大学生の日常2 ~『純粋理性批判』を買う~

哲学書はあなたについて書かれたものです.

 

10月3日

 

 週に3日授業に行き, 後の4日は休み. 悠々自適な読書ライフを過ごせると意気込んでいたが, 読書がはかどらない. なぜかと考えていると, 読んでいる本に集中できていなかった. それは, 環境の問題かと考えたが, 理由は読んでいる本それ自体にあまり興味を示せなかった.

 

 私は一体何に興味があるのかと自問自答する. そして見つかる. 私は私の興味のある本を読んでいるか. 否だ. 解決した. 

 

 というわけで, 今日は大学の生協(本屋さん)に行き, カントの『純粋理性批判』を買った. 全冊を一気に買おうと思ったのだが, 残念ながら, 揃っていなかった. なので, とりあえず1巻目だけを買った.

 

 『純粋理性批判』は実はまだ読んでいなった.  少し読んでみたが, 別に難しくて読めない, という事態にはならなかったので, これからじっくりと読んでいこうと思う. 『純粋理性批判』の後の読書予定は, カント『実践理性批判』, 同著『判断理性批判』, ハイデガー存在と時間』を読んでいこうと思っている. 

 

 

 最近は, 哲学ブームが私のなかで巻き起こっている. 哲学を読む前に, まず社会学理論をもっと勉強しなければならないのだが, まあ, その辺はご愛嬌ということで(日本語の間違った使用法).

 

  哲学つながりでいくと, 今日, 図書館にふらっと寄ったのだが, そこでベルクソン物質と記憶』をふと手に取った. あらまあ, これがおもしろいおもしろい. 

 

 何時間たったかわからないが, 一気に読んでしまった. イマージュ, 記憶......

気になる人はぜひ読んでみては? 多分, 普段から本を読んだりする人なら読めると思う(嘘です, 読めません. 哲学関連の本を読んだことがなければ厳しいです). 

 

 

 とまあ, こんな感じだ. どんな感じだろう.

 

 もし哲学書を読んでみたいって人はぜひ, このことだけを意識してください.

 

哲学書人間について書かれている」

 

 ということです.

 

 

 哲学書(哲学に限りませんが)は, 人間がいかに認識しているのか, 人間はどう生きればいいのかについて書かれています(もちろんこれだけではありません. ex. 時間, 空間など).

 

 哲学は人間についての学です. 私たちのことが書かれているのが哲学書です. これを意識するだけでも, 内容の理解が格段に上がります. 私が保証します(「ほしょう」の漢字合ってます?). 哲学書はあなたについて書かれたものです.

 

 気軽に哲学書を読むのもありかもですね.

 

 ではでは.

統計の勉強を始めた理由 <私の実存をもとめて>

 


統計を勉強することは, 私にとっての生存戦略です.

 

 

今さらですが, 私の専門は社会学で, 主に社会学理論の勉強をしています. 社会学理論を勉強するにあたって, 哲学や思想についても勉強しています.

 

 

一体, 私とは?

 

 

最近は統計の勉強も始めました(データ価値が今後上昇していくことは予想できます. いずれは, 企業の資本にデータが含まれることになるでしょう).

 

 

そこで, 世界を理解するために, 社会を理解するためには, 統計は必須の実装だと思います.

 

 

では, なぜ社会を理解したいのか. 私の目的は別に, 市場価値の一般について探求したいということに限りません. 私の求める目的は,

 

「私の実存」です.

 

 

私はどんな社会を生きているのか. 私は社会の存立構造にどのような影響を受けているのか. 今ある社会の構造は, 私をどのように規定しているのか. 他者との関係において, 私は他者をどのように規定し, 規定されているのか. そこにある多様な相互包括的なものの正体は, 一体何であるのか.

 

 

こうした, 私を取り巻く社会にある様々な関係を可視化できるツールとして, 統計があると思っています. もちろん, 統計ですべてを記述するつもりはありませんし, おそらくできないでしょう.

 

 

統計について注意すべきことは, あくまで可視化されるものは, 雰囲気だということでしょう. そこに現れた雰囲気だけを鵜呑みにしてしまっては, 私が私を記述できる可能性は薄れてしまいます. しっかりと分析しなければいけません.

 

 

私は私を記述したいのです.

 

 

という目的で, 私は統計の勉強を始めました. まだまだ勉強を始めたばかりです. ただ, 私は私の実存を知りたい.

繰り返しますが,

 

 

統計を勉強することは, 私にとっての生存戦略です.

 


それでは, また.

 

 

 

大学生の考える, 今を生きるための方法 <美しき吸血鬼に殺される前に>

9月30日

 

あの美しい吸血鬼と戦ってはならない.

 

 

 日本は吸血鬼と化した. 少なくとも東京はもうすでに吸血鬼だ. 

 

 完璧な秩序のもとで進行される東京という経済都市は, そこで働く人々から血を吸っている. 満員電車のなかは瞑想的な静けさを保っている. しかしそれは表面上のことに過ぎない. その人々の内面は, 荒れ狂う嵐のようにカオスだ. 

 

 東京という環境のもとでは, 人々の内面のエントローピーは増加する一方である. 完璧な秩序であるゆえ, そこからの逸脱は許されない. いや, 逸脱することは非常に難しい.

 

 完璧な秩序は人々に安心をもたらすと錯覚させる. しかし, 完璧な秩序のもとに投げ出された人間たちは, そこでじっくりと生きる養分を吸い取られていく. そうしていくうちに, その人個人は, 完璧な秩序以外では生きられなくなる. これはつまり, 完璧な秩序のうちでしか受動的に生きられず, その人個人の目指す能動的な「生き方」ができなくなってしまうということだ.

 

 「東京という吸血鬼によって, そこでの人々は『生き方』を剥奪されるのよ. もはや能動的に生きることはできないの. もし, 自分は自分の生き方をまっとうしている, と主張する人がいても, それはもはや錯覚なのよ」

 

「そうはいっても, もしかしたら自分の生き方ができている人もなかにはいるかもね」

 

 東京という街がメディアによって表象されるとき, それは煌びやかなものとされる. しかしそれは, 吸血鬼の魅惑の効果に過ぎない. 完璧な秩序に人間を統合するための手段である. 

 

 完璧な秩序は, 人々に安定, 安心という幻想を与える. 学校の先生や親はきっと子供にむかってこういうのだ

「安定しているほうがいい」

 

 安定しているほうがそれはいいだろう. それは安心をもたらすのだから. しかし, 大人のいうその安定は, 本当に安定だろうか. 表面上は安定したものなのかもしれない. しかし, そこに足を踏み入れた途端, その安定は, 地獄であることが多い. 大人のいう安定とは, まさに地獄にほかならない. 

 

 大人のいう安定は, 秩序立ったものを指している. なんどもいうように, 日本において, 少なくとも東京という完璧な秩序のもとでの安定は, 人間の「生き方」を剥奪するために用意された地獄であり, 人の養分だけを吸い取るだけの吸血鬼だ. 

 

「現代に生息する吸血鬼はね, 人の『生き方』を吸い取っているのよ」

 

 人を社会, 経済を動かすための機械の部品として存立させる資本主義で, 東京ほど完成された都市は存在しないのではないだろうか. 人々が合理性を求めて歩き始めたとき, すでに人間の「生き方」は1つになった. そう, 社会の部品となり, 従事すること.

 

 われわれはどう生きればいいのか. 理性なき合理性をもつ現代人たちにとって, 「生き方」を吸血鬼から取り戻す方法はあるのだろうか.

 

「 理性ある非合理性を目指すのよ. そのために, 合理性の限界を知らなければならない. 文学やアート, それぞれの人が愛するものを, 本当に愛せるような, そんな非合理性を求めて歩き続けるのよ. それを市場価値に転化するのもいい選択肢だと思う. けど, 市場価値に転化するためだけにしてはダメよ. その方法では, 吸血鬼に吸い取られてしまう」

 

「意味という言葉の意味を考えなさい. それはなにも社会に還元するということだけではないでしょ?『なんのために勉強するの?』と子供が問う時とき, それは『社会の中で何の意味があるのか』と同義. そうした意味に疎外されてはだめなの. それは理性なき合理性なの. 理性ある非合理性は, それを愛しているがゆえ, その愛することに没頭することだよ. けっして, 意味に疎外されてはいけないの」

 

「これが唯一, 完璧な秩序のもとから離れる手段なの. ただ, 別にすべての秩序が悪いと言っているわけではないの. 少なくとも東京という秩序が危険なの. あなたはあなたのコミュニティで秩序を形成してもいい. それが危険でないならば. もしくは, 秩序を形成しなくてもいい. それが素敵であるならば. もちろん, 秩序や無秩序という二項対立から離れたものを持ってもいい」

 

「そして最後にこれだけは言っておく」

 

「吸血鬼と戦ってはならない. あの美しき姫に勝つことは不可能よ. 私たちに残された道は, 戦わずして勝つことだけよ」