四季の日記

大学生の徒然

Cinderella crushed her stepmother

2月28日

 

 

ガラスの靴を叩き割り

シンデレラは継母を蹴り殺す

魔法の街に導かれ

彼女は夜の女王となる

街灯に群がる蛾の花粉

腐った匂いに蝿が騒ぐ

粘着質な液体が

彼女の体を包み込む

股に付いた赤い肉は

2つの襞を揺らし続ける

 

 

2月26日

 鷹のようになれるだろうか。優雅で、全体を見渡し、そして、穏やかな。静かな姿と、その静けさに宿る力強さ。鷹はなにを見ながら飛んでいるのだろうか。獲物だろうか、地面だろうか、空だろうか。空気を身にまとわせ、太陽の光を吸収し、日焼けのことなど一切気にとめることはない。

 風を縫い、風を紡ぎ、様々な編み物を編んでいく。翼の筋肉を弛緩させながら、空の命を聞き、海の命を聞き、川の命を聞き、山の命を聞く。木々のせせらぎに身を委ねながら、すべての命の鼓動をその身に包む。命の理の流れの中で、鷹は飛び続ける。どこまでも、飛んでいく。

 

 猫は7つの命を持つ。鷹はすべての命を持つ。

 

 

 愉快な三人がいた。

「静寂を恐れないで」

「きっと静寂に聞こえるものがあるわ」

「静寂の中を見てもかまわないのよ」

 静寂という態に恐れることこそを恐れ、静寂に耳を貸す戸惑いを拭い去れ。そうすれば、静寂は多くを返してくれるのだから。静寂の流れを聴き、その流れに身を任せることができたなら、身は静寂に沈む。

「静寂に沈んだ身ならば、多くを聴くことができるのよ」

「静寂の音を聴くのよ」

「静寂と同化するのよ」

「静寂というのはね、音が聴こえ続けているということなの」

「音を聴き続けるの」

「音を途切れされてはだめよ」

「貴女が今聴き続けている静寂は、いったいどんなかしら」

Sick with justise

2月25日

 現実を濡らすものはなんだろうか。これまで私にとっての現実とはなんだったのだろうか。今は現実がひどく濡れている。まだ濡れてしまうのだろうか。まだ私の現実は濡れることを欲するのだろうか。濡れて、濡れて、蒸れている。海よりも濡れている。海は濡れたことをどう思っているだろうか。なにを思うのだろうか。もう濡らしたくない。ひどく冷たくなって呼吸できない。海を飲み干すことができないように、濡れた現実を飲み干すことができない。海の底は暖かいだろうか。濡れた現実にも底があるのだろうか。底があるのなら、沈みきってしまいたい。私は濡れた現実のどこにいるのだろうか。知ることができればもっと楽になれるのに。底に沈んでしまえれば、安心できるのに。濡れた現実は息苦しい。呼吸系がおかしくなってしまう。ダイビングは呼吸のできない海の中で呼吸を感じられる。濡れた現実では呼吸を感じられるはずなのに、感じられない。代わりに感じられるのは、窒息でしかない。

 息ができるところで息ができないことほど恐ろしく思うことはない。息をしているのに、息ができない。頭がおかしくなってしまいそう。

 どうすれば濡れた現実を乾かすことができるだろうか。乾かした後に現前する現実では息はできるだろうか。そもそも、私は現実というものに居たことがあっただろうか。きっと、私は現実に居たことがあった。居たはずだ。現実というものに対してひどく無関心という在り方で。現実に対してどう関係するかによって、その人それぞれの現実の現れ方はきっと、異なるのだろう。欲望とその相関と遠近法。何と結び付いてきたのか、結びついているのか。どのように。

 人格。私はそれをこれまで甘く見ていた。人格から目を逸らすためだけに何かに集中していたのかもしれない。私は私の人格について忘れたことなど一度もない。思い出すことなど一度もない。私は私の人格について、考え、向き合おうとしなかっただけのことである。そのことが今になって、私を苦悩に追い込み、現実を濡らし始めた。

 嫉妬に濡れ、憤怒に濡れ、色欲に濡れ、怠惰に濡れ、大食に濡れ、高慢に濡れ、強欲に濡れた。罪に濡れた。徐々に濡れていることに気が付くことができなかった。今になって気づいた。これはなんという名前の罪だろうか。怠惰だろうか。高慢だろうか。

 

 幼い罪人は花束に照れることに

 巡る慰めを舞い戻らせるために

 大げさな理由をすべて忘れるために

 

 

初春、雨水、霞始めて棚引く

2月24日

 初春、雨水、霞始めて棚引く。

 11時40分に床を出た。いつもと同じく煙草を咥え、火をつける。今日も昨日と同じ日を繰り返す覚悟を決める。それはとても窮屈なもので、習慣となっている。退屈を習慣化してしまうことは、恐ろしいものだと今更気づくが、時はもうすでに遠くだ。ずっと後ろの方にある。ふさぎ込んでしまっているわけではないが、チャックに手をかけるところまで侵食されている。

 空気の流れる音がする。暖房がつきっぱなしになっている。目が乾き、あくびで目を潤す。口の中でよだれが目を覚ましたようだ。ネバネバし始めた口の中に煙草の煙を入れたためか、よだれがむせている。タバコに含まれるアンモニアの刺激によって、よだれは目を赤くしている。

「悪いことしたね」とよだれに謝ったところで、水を飲んだ。よだれは歓喜し、目を濡らしている。目の焦点が合ってないところをみると、まだ寝ぼけているようだ。身体中に水が染み渡っていく。隙間なく、絶え間なく、ゆっくりと。血液の中にまで水が入ってしまえばいいと思う。

 

 (意を味わう。意味というものは、人間がわかろうとするために使われる道具に過ぎない。よって、意味の意味という背後について考えることは、意味が構築された過程を辿ることでしか理解できない。が、おそらくそれはできないだろう。

 ある物事やについての意味が画一的になることはほぼほぼありえることではない。意の味わい、そして意の味付けをどうするかは個人に委ねられているからこそ、多くの意が発生し、味わうことができる。相対主義だろうか。そうかもしれない。意味という概念を用いる限り、意の味はヴァリエーションとグラデーションで現れるからだ。そのヴァリエーションの現れ方は、その意味がどう実行されるか、実践されるかという行為の演技装置と演技にかかっている。意味は実在し、実践され、構築される。グラデーションはその実践と演技装置との間にある。演技装置が異なるところで同一の実践が為されるとき、意味のグラデーションが現れる。)

 

  今日は何もしなかった。何もしなかったわけではない。印象に残ることがなかったということだ。繰り返される今日に印象を与えることは、ひどく億劫で退屈である。だが、繰り返される今日を脱したいとは願う。そのためにできることは山のようにある。身体はきっと付いてきてくれる。精神はきっとだらけたままでいるだろう。精神の鮮明度はどれほどだろうか。きっと腐ったパイナップルのような酸っぱい匂いを放っているのに違いない。もうすでに、匂い始めているのだから。

 

 

 愉快な三人がいた。

「発疹のように広がる空は、湿疹とガラスの破片と踊るわ」

「グラウンドじゃあ、猫がつわりを楽しそうに過ごしているのよ」

「初雪に埋まっているその腐った思いを、発酵させるの」

 山に浮く雲の間には、散弾銃の思い出が住み、昔の春が居着いている。疑われたあなたの左腕は、右の手を包み、発情したように貪る。なんの恨みもなく、なんの形もなく、なんの方向もなく、右足は踊り出す。

 

 

Suck away the tender part

2月23日

 何かに溺れてしまいたい。何もかも忘れて、これまでに構築されてたすべての価値観、思想、家族、友人、今までに聞いたこと、知ったこと、覚えたこと、考えたこと、支配していた理論、それらすべてを忘れてしまいたい。何かに溺れて、すべてを忘れて。溺れさせて、忘れさせて。

 孤独を嫌いになった。誰にも邪魔をされないのは今まで心地よかった。しかし、いつでも、いつまでもつきまとうことがあった。私がいる限り私は孤独にはなれなかった。孤独になりたかったのに。いつも私が私の邪魔をする。これまでに私を構築し、そして構築された私が今の私を追い詰める。いつも支配者は構築された私だ。構築されているのだから作り直すことができる。そう考えたことは何度もある。しかし、それはできない。私がある限り、構築は永遠を循環する。一色であるはずがない。複雑に絡み合っている色彩を一色に染めることはできない。複雑な色彩を夕闇の迫るなかで、部分部分を詳細に見極め、少しずつ色を塗らなければないらない。しかし、その作業を実行することはできても、終わらすことなどできない。花びらを愛でるように、色を塗りなおすことなどできない。

 昨日と同じ影の中に今日も住まう。ぬかるむ心は雨を讃えるが、火を灯すことはない。

 

Get down on your knees.

 

Shit out of luck.

 

林檎の雫

2月22日

 朝の9時に目が覚めた。今日も晴れている。青と白の織りなす、切なく、そして掠れていく不安定な上にあるもの。空でさえ不安定なのだから、人間が安定しているなんてことはない。

 癖で煙草を口に咥える。フィルターについていた煙草の葉が口の中に入り機嫌が少し悪くなる。今日は一体何をしようか。予定があることなどほとんど無いため、朝起きた時に今日することを考えるが、いつだって何も決まらない。予定のある人たちは一体、何を狩りに行こうとしているのだろうか。獲物を見つけるのが上手だと感心する。

 六道輪廻という言葉がふと頭に浮かぶ。その言葉を頭の中でぐるぐるさせる。蛇が自分の尻尾を咥えたまま回り続ける。地球が動いているのだから動き続けないといけない、という強迫観念でも持っているのだろうか。鵯越は怖かっただろうか。

 冷蔵庫に入っていた林檎を貪る。汁を飛び散り、床を濡らす。林檎の汁が飛んだ床に髪の毛が這っており、いかがわしい感じがした。林檎と床が愛し合っている最中に邪魔をしてはいけないと思いながらも、その粘着的な行為をずっと眺めていた。どちらかが果ててしまったのか、そこからいかがわしさが消失していた。もう2度と林檎と床が交わることはないだろうという予感がした。だが、私は間違いなく林檎の雫と床のベタつきを目撃したのだ。恍惚というものに出会った。私の音階が半音上がった気がした。少しの寂寥感をまといながらトイレで用を済ませた。

 走り出したくなった。髪がぐちゃぐちゃのままで靴を履き、外に出た。思った通りの晴れの肌触りだ。機嫌が少し良くなる。一歩一歩地面を踏みつけていく。家の通りを全力で走る。爽快感はあったのだろうか。気持ちは晴れやかになっただろうか。何かを考えていただろうか。なにか感じられただろうか。きっと何か感じられた。曖昧なままでいい。ずいぶんと安っぽい走りだったように思う。陸上選手のように走れたらと思う。どんなに気持ちいいだろうか。何もかもを走ることに賭けている姿は美しい。我慢することなく、絶えることなく、走ってみたいものだ。きっと林檎もそう思っているに違いない。

 1回ダッシュして走ることに飽きたので、家に入り、読みかけのペーパーバックを開く。この小説はどうも私を殺しにきている。私の懐を土足で踏み荒らし、喉元に散弾銃を突き付ける。読んでいると苦しくなってくる。まずは呼吸の機能を停止させようとする。その後に私に憧憬を与え、その憧憬を身体に刻み付ける。2度と消えないタトゥーを身体中に、誰にも見えないように刻む。現状をことごとく突き付け、現状を否定する。本に殺されると思ったのは初めてだった。

 

何も為さない

 2月21日

 朝の10時に床を立った。よく晴れていた。その空には何一つ感情が感じられなかった。雨の空には雨の空の感情があり、晴れの空には晴れの空の感情があるものとばかり思っていたが、そんなことはなかった。退屈な日が繰り返されることに、退屈さを感じ始めている。何か昨日と今日を区別してくれる何かが突然やってこないものか。それは喜劇であっても、悲劇であってもいい。ただ、昨日と今日を区別してくれる何か。しかしそれは、どうやら自分の外側で起こるものではないらしい。自分の中で起こる。外に刺激があったとしても、受容体である自分にそのセンサがなければ、それは起こらない。つまり、世界を変えるのは世界ではなく、自分だということだ。それは実に面倒臭い。そんな面倒臭いことまでして、世界を変えたいなどとは思わない。どうやら私は、世界を変えるのに向いていない。

 煙草に火をつける。紫煙が空気中に踊り出すのを眺めている。ポールダンスで腰を振る人間によく似た動きをしている。だるい感じがそのまま溢れ出しただけの動き。それに魅了されるというのは、なんともいえぬ贅沢のように感じる。

 何かのきっかけさえあれば、という期待は誰しもが持っているものだろうか。きっかけさえあれば自分はなんでもできると思い上がっているだろうか。そんな期待を私は持っているし、思い上がっている。しかしどうしてか、そんな期待はやってこない。白馬の王子さまも人を選り好みするだろうし、案外、冷たいものなのだろう。別にそれでいい。王子さま、どうして私をさらってくださらないの?私のことなんてもう忘れてしまったのかしらね。

 昼食をとり、何かをした。何をしたのかは覚えていない。それほどに、日常から関心が薄れていっている。ただ本を一冊、単行本を読んだ。その本の内容は、1970年代後半の青少年達の日々、セックス、駆け落ち、自殺、そうした日常的なものだった。内容はつまらなかった。その本の単語には見慣れぬものがいくつかあった。例えば、レンタ・ルームである。文脈から判断するには、ラブホテルのようなところのことだろう。高校生の登場人物は、主に視点が女のものだったが、そのレンタ・ルームでセックスを繰り返していた。後は、コンドームがコンドーさんと呼ばれていたことだろうか。隠語にもなっていないが、趣味は別段悪くないと思う。結構好きな方だ。こういうくだらないことは、とても好きだ。

 くだらないことが好きだと友達に言うと、友達はつまらないことが好きだと勘違いする。迷惑なことだ。つまらないものは大嫌いだ。つまらないものですが、どうぞお受け取りください。そんなもの釘で木に打ち付けて、送り主に呪いをかけてやる。くだらないものですが、どうぞお受け取りください。最高だ。手を繋いでコーヒーでもどうだろうか。

 退屈を分析するつもりはない。そんな退屈なことはハイデガーに任せておけばいい。適材適所だ。私は間違いなく空虚に放置されている。空虚放置。ハイデガーから拝借した。ただ、突然、何かに憑かれたように動き出したくなり、何かを成したいと情熱に身を預けることがある。しかし、そうなるだけで、別段何かをするわけでも決心するわけでもない。よくあることなのだが、しかしこれは困る。自分は行動することができ、何かを成そうとする意思があると自覚してしまうからだ。こんなものが自分のうちにあるとわかれば、何もしていない自分が憎らしくなってしまう。迷惑な話だ。私は私に対して迷惑をかけている。

 私はただ、落ち着きたいだけなのに。